ヘッダーのタイトルイメージ

2014年2月9日日曜日

年末年始旅行(2013~2014年)(13)滋賀観光・琵琶湖疏水編


見所満載だった園城寺(A)を後にし、琵琶湖疏水(B)を見ながら、浜大津駅(C)に戻ります。園城寺に入るときに通った園城寺町交差点を右折し、園城寺を右手に見ながら、進んでいきます。道なりに長等小学校を回りこむように左に曲がっていくと、琵琶湖疏水が現れます。
琵琶湖疏水は琵琶湖の湖水を京都市へ流すために作られた水路です。上の写真は前回報告した園城寺観音堂に向かう途中の石段から琵琶湖疏水を撮影したものです。
琵琶湖の三保ヶ崎取水口から園城寺観音堂下にある第1トンネル東口までの間は大津運河と呼ばれ、この大津運河と園城寺観音堂にかけ、桜の名所となっています。
幕末、京都は禁門の変で市中の大半が焼け、明治維新と東京奠都に伴い、人口減少と産業衰退が生じ、活気を失っていた京都の復興のため、琵琶湖疏水が1885年に着工され、1890年に第1疏水が完成しました。完成後、疏水の水は水車動力、舟運、灌漑、防火などに使用され、更に、日本初の事業用水力発電に用いられ、京都の発展をもたらしました。


(明治村にて、2008年3月2日撮影)
琵琶湖疏水の水力発電で作られた電気が日本初の電気鉄道かつ路面電車の京都電気鉄道(後に京都市電により買収吸収)の設立へとつながります。上の写真は明治村にある京都電気鉄道の車両であり、京都市電時代にはN電と呼ばれました。

大津運河には水路が2つに別れる場所があります。
この別れた南側の水路は通船用であり、大津閘門があります。この大津閘門により水位が異なる河川、運河及び水路の間で船を上下させることができ、両者の船の行き来を可能にします。写真では2枚の閘門扉が見え、手前(水位が高い方)が少し開いており、奥(水位が低い方、琵琶湖側)が閉まっているのがわかります。

北側の水路は水量を制御する大津制水門があります。

大津閘門から園城寺観音堂側(京都側)に進むと、第1トンネルがあります。この第1トンネル東口には扁額があり、その扁額には「氣象萬千」と刻まれています。意味は「様々に変化する風光はすばらしい」という意味であり、日本の初代首相である伊藤博文が筆を揮ったものです。
この第1トンネルは京都・山科まで続いており、更に琵琶湖疏水は山科から蹴上を経て、京都市内まで続いています。

時間もないので、琵琶湖疏水に沿って、京阪三井寺駅に向かわず、京阪石山坂本線の併用軌道区間を歩きました。併用軌道区間では700形の709+710のラッピング電車「ふれあい号2013」に出会い、そのまま浜大津駅に戻りました。

0 件のコメント:

コメントを投稿