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2014年2月2日日曜日

年末年始旅行(2013~2014年)(12)滋賀観光・園城寺(三井寺)後編

では、園城寺(三井寺)後編を始めたいと思います。
今回は⑫~⑲(赤字)を報告します。前回は①~⑪(黒字)を報告しました。なお、前々回報告した弘文天皇陵及び新羅善神堂は北側(画面右側)にあり、次回報告する琵琶湖疏水は東側(画面下側)にあります。


 <⑫微妙寺>
「微妙寺」の本堂は江戸時代後期・田沼時代の1776年に再建されたものです。「微妙寺」に安置されている本尊は平安時代に作られた「十一面観音立像」です。園城寺別所の尾蔵寺の旧本尊と伝えられ、参拝人が多数押しかけて、人々の笠が破れたことから「笠ぬげの観音」と呼ばれて信仰されました。この「十一面観音立像」は重要文化財に指定されています。
なお、上述した別所は別所寺院のことを指し、平安時代から仏法を布教し、多くの衆生を救済するために本寺の周辺に設けた別院のことです。

<⑬毘沙門堂:重要文化財>
この「毘沙門堂」は「十一面観音立像」でも前述した園城寺別所の尾蔵寺の南勝坊境内に1616年に建立されたものです。これが1905年に山内に移築し、1956年の修理に際し、現在地に移ったものです。

 <⑭観音堂:滋賀県指定文化財>
毘沙門堂のある位置から長い石段を上ったところに西国三十三箇所観音霊場の第14番札所である「観音堂」があります。西国三十三箇所観音霊場は第1番札所の紀州・那智山青岸渡寺から始まり、紀州・畿内・播州・丹後・近江に点在し、第33番札所の美濃・谷汲山華厳寺で終わる観音信仰の霊場の総称です。

「観音堂」は礼堂・合い間・正堂からなっており、奥には33年に1度しかご開帳しない「如意輪観音座像」が安置されています。この「如意輪観音座像」は10世紀に作られたものです。前回が2009年なので、次回は2042年となります。上の写真は礼堂となります。


(西国三十三所 御詠歌【48分】、siamese dream様のチャンネルより)
(引用元:http://youtu.be/DrBK5GG3T8M)

西国三十三箇所観音霊場と言えば、これらの33霊場、開基である徳道上人と再興させた花山法皇ゆかりの3つの番外霊場及び結願のお礼参りに信州・善光寺を巡礼する「西国三十三箇所巡礼」があります。この「西国三十三箇所巡礼」は日本で最も歴史がある巡礼行で、現在も多くの参拝者が訪れています。この西国三十三箇所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされます。
この「西国三十三箇所巡礼」を再興させた花山法皇が西国巡礼時に西国三十三箇所の各札所で詠まれた御製の和歌を、後世の巡礼者が節をつけて巡礼歌として歌ったものに「御詠歌」があります。西脇在住時、葬儀に出席した際にこの「御詠歌」を初めて知りました。少なくとも西脇周辺ではこの「御詠歌」が葬儀から四十九日法要まで毎夜唱えられるようです。
YouTubeで「御詠歌」の動画があったので、埋め込んでおきます。やはり、西脇市だったのですね。

(本当に余談ですが、ミシガンクルーズ編で少し述べた「聖地巡礼」は上述の「西国三十三カ所」「四国八十八カ所」等の寺院や神社といった宗教上重要な意味をもつ「聖地」を訪ね巡り、礼拝することをなぞらえて、漫画アニメ等の物語の舞台となった場所等を神聖視した「聖地」と呼び、その「聖地」を訪ね巡り、憧れや興奮に思いを馳せるようになったことから、名付けられたものと思われます。)

<⑮鐘楼:滋賀県指定文化財>
さて、園城寺の話題に戻します。「観音堂」の北東側に「鐘楼」があります。この総欅造りでまとめられた「鐘楼」は江戸時代後期・文化文政期の1818年に上棟されています。

<⑯百体堂:滋賀県指定文化財>
「百体堂」は江戸時代後期の1753年に建てられました。堂内正面に「観音堂」と同じ如意輪観音像を奉安し、その左右に西国札所の三十三観音像を二段に祀っており、右には板東三十三箇所、左には秩父三十四箇所の本尊を安置し、合わせて百体の観音像を安置することから、「百体堂」と呼ばれています。

<⑰観月舞台:滋賀県指定文化財>
「観月舞台」は江戸時代末期の1849年に建てられました。ひときわ目立つ舞台造の建物で、檜皮葺きで外壁はなく、吹き抜きとなっています。周囲には高欄があります。
能楽でうたわれる謡曲「三井寺」では、誘拐され行方知れずになった子を探し、三井寺に辿り着いた母親が中秋の名月のとき、三井寺で住僧の弟子となっていた実の子供と感動の再会を果たした場所とされています。

「観月舞台」付近からは大津市街と琵琶湖疏水が見下ろせ、その背後には琵琶湖の景観を望むことができます。まさに、月見をするには絶好のロケーションといえるでしょう。

<⑱水観寺:滋賀県指定文化財>
「水観寺」は西国薬師霊場第48番札所で、1040年、明尊大僧正によって創建された園城寺の別所寺院です。の本堂は江戸時代前期の1655年に建てられました。
現在の本堂は1655年の再建で、1988年に現在地に移されました。本尊は薬師如来となります。

<⑲護法善神堂:大津市指定文化財>
「護法善神堂」は千団子社とも呼ばれ、江戸時代中期の1727年に建てられました。本尊は鬼子母神を祀っています。

この護法善神堂を巡り、今回の園城寺観光は終了しました。園城寺には多数の文化財が残されており、しかも重要な国宝・重要文化財が少なからず存在し、質、量とも見所の多い寺院でした。実際、一眼レフカメラで撮影していたのですが、途中でバッテリーがあがり、ビデオカメラで撮らざるを得なくなるほどでした。今回は建造物を中心に述べて参りましたが、芸術作品や工芸品にも国宝、重要文化財が多く、見る機会があれば、見たいと思います。とにかく、全てを巡っていないので、次回大津市に訪れる機会があれば、訪問したいと思います。
では琵琶湖疏水を見ながら、浜大津駅へ戻ります。

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